大僧正より皆様へ

私はもともと、普通の主婦として暮らしていました。
ところが、皆さんもご存知の通り、この世は苦しみの連続であり、
逆から見れば、苦しみの中にこそ人生があるともいえます。
私が最初に大きなショックを受けたのは両親の離婚でした。
しかも、離婚後も両親が私に内緒で会っていたことを知り、
男女の機微の奥深さを知るとともに、少なからず傷ついたのも事実です。
そんな私が結婚のご縁に恵まれたのは、26歳の時です。
夫はとても優しく、結婚1年目に子どもができたと分かった時には、
嬉しくて飛び上がりたいほどでした。
ところが……。幸せの絶頂が高ければ高いほど、
そこから落とされた時のショックは大きい事をその後で
思い知らされたのです。

そう、初めての子どもが流産してしまったのです。
この試練は私たちの子どもを奪っただけではなく、
私の命さえも奪おうとしました。身体全体が真っ白に変色し、
血圧にいたっては上が80、下が60から上がりません。
後で聞くと、回りの人は「もうダメかもしれない」と諦めかけたといいます。
幸いにも私は一命を取り留めましたが、
会えるはずだった子どもと出会う機会は永久に奪われてしまいました。
身も心もボロボロになった私のために
母はいろいろな神仏にお参りしてくれていました。
しかし、私の中ではそんな母の姿はどこか
「他人事」に映っていたのです。

しかし、一心不乱に娘のために飛び回る姿をじっと見ているうちに、
私の中で変化が起こり始めました。

「お祈りは人任せにしていてはいけない」

そんな心が自然と芽生えてきたのです。
私は、心を改め、素直にご先祖様に祈りを捧げました。
そんな毎日を過ごすうち、不思議なことに身体が少しずつ
楽になってきたのです。
これは、私が修行の道に入るきっかけとなった大きな出来事でした。

その後、「八日間石室断食行」や、「八千枚大護摩供」など、
生きるか死ぬかのぎりぎりのところでの修行を重ねて参りました。
そしてご縁あって、チベットのボミ高僧と運命的な
めぐり合いをすることができたのです。
ボミ高僧は、正式には「ボミ・チャンバ・ロドロ高僧」と尊称されます。

この、强巴林(チャンバリン)建立という大事業は、ボミ高僧との
出会い抜きには実現しなかったことは疑いようもありません。
全ては「信」の一念があればこそ、
そして周囲の入々の支えがあってのことだと、日々感謝の毎日です。

チベット語で「チャンバ」は、弥勒菩薩、
「リン」はお寺、という意味を表します。

チャンバは、ボミ高僧のお名前の中にもありますように、
非常に格式の高い響きを持っています。
この倶利加羅不動寺とともに、チャンバリンを建てたことで、
身のうちの震えるような喜びと、身の引き締まるような責任感を覚えています。
日本で初めての「本格的なチベット伽藍のお寺」ということで、
日本国内は元より、国外からも多数の方々にご参拝いただいております。

こちらのホームページをご覧の皆様も
人生に躓いたり、悩んだりした時に、気軽にお越し頂ければ、
これ以上の喜びはありません。

皆様のご参拝を心よりお待ちしております。

森下永敏(チャン・バ・チュ・ドゥン)

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